セカオワへの愛と、ノーミュージックノーライフへの憧れ
「同じ曲ばっかり聞くのって、社会不適合者の特徴らしいよ」
と言われたことがある。
はい!その通りです!という気持ちと、
適合しようと思えばできるかもしれないけどものすごく疲れるだけなんだよ!
と反論したくなる気持ちと、
そもそもどこから不適合っていうのさ!と質問したくなる気持ちが入り乱れる。
歌を歌うのは好きだ。
時に自分を苦しめるものであったが、それでも歌うことは好きなのだ。
しかし音楽が好きかと言われれば、少し悩んでしまう。
移動中は本を読むか寝るか。家でも曲をかけておくことはない。
テレビをなんとなくつけているということもほぼないので、意識しないと無音で生活している。ノーミュージックでも全然ライフって感じ。
そんな生活を少し続けると、
「セカオワ聞きたい」というスイッチが突然パチッと入る。
そうです。SEKAI NO OWARIの大ファンです私。
https://sekainoowari.jp/mob/index.php?site=S&ima=3236
セカオワの公式HP
このスイッチが入った途端、狂ったように全アルバムをシャッフルしてループな毎日になります。ちなみにさっき久しぶりに入りました。今2アルバム目に突入しました。
自分の特質をさておいてみて、この中毒性は何だろう。彼らの結晶を一身に受けるわけだから当然なのか。自分の感受性とぴったり合うからなのか。
あの方々の才能云々を私が語るなんておこがましいにもほどがあるから言及しないけども、救われた曲や言葉についてはいつか本気で書いてみたい気はする。
久しぶりに聴く大好きな曲は、染み込み方がすごい。
イントロが流れた瞬間にあぁぁ…と声が出るほどに。あえて言葉にするのなら恍惚。
「美容液が角層深部まで素早く浸透」って書いてある目の前のパックの何倍も何倍も浸透してる気がする(私調べ)(だってパックしても心震えないもん)(ごめんなさいパックいつもありがとう保湿してくれて)。
だから、多分私は音楽が好きなんだろう。
そうしてたくさんきいて満足して、いつの間にかノーミュージックなライフに戻っていく。そしてそんな自分に結構不満を抱いている。
常に音楽に触れている人、音楽のジャンルやアーティストについて幅広い知識がある人に強烈な憧れを抱いているから。知識があること自体にではなく、そういった人が話をするときに見えるその人の感性がとても好きだから。
音楽が生活の一部である人を前に「音楽が好き」ということには引け目を感じるが、それでも音楽好きへの憧れを胸に、これからもたくさんセカオワの曲を聴こうと思う。そして少しずつ他のアーティスト、他のジャンルの曲をきいてみよう。
いつか私の憧れた音楽好きたちの感性を、他の誰かが私に感じてくれる日がくるかもしれないから。
そしたら大好きなセカオワについても、こんなに薄っぺらくない言葉で話すことができるかもしれない。
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