季節とにおいについて
4月が終わるって本当ですか。
引きこもっているうちにこの調子で
あっという間に1年くらい過ぎてしまうのではないかと心配です。
4月は特に、春のにおいと共に思い起こされる記憶が多くて
まじエモみでした。毎日がエモみ澤。
共感してくれる人も結構いるのではないかと思うのですが
春は新しい環境へのドキドキだったりワクワクや清々しさだったり
そろそろ夏が来る気配を湿気のにおいで感じたり
秋にキンモクセイのにおいにときめいたり
冬の石油ストーブのにおいは安心だったり
どの季節にも全部懐かしく思うにおいの記憶があります。
前回お話しした「味の思い出」もそうだけど
もしかしたら記憶が呼び起こされるときに、
それが能動的にキャッチした訳ではない感覚(においとか味)を媒介してると
エモいのかもしれませんね。なんでかなぁ。
週に何度もない散歩の時間が貴重に感じるのも今だけかもしれないので
マスク越しに感じる春のにおいを存分に楽しんでいたいと思います(*'▽')
Twitter→ s_now7 (今澤汐音)
お菓子作り
幸いにもずっとお家にいられますので
1か月近く、全くと言っていいほど外に出ず毎日を過ごしております。
相変わらず寝すぎてしまうけれど
最近やっと、家でできることを見つけられるようになり
少しずつ有意義に過ごせるようになってきました。
そして今、空前のお菓子作りブームが到来しました(*'▽')
小さい頃は毎日学校や習い事があったし、高校は部活と受験勉強だったし、大学は授業とバイトとレッスンだったし、
そうやって振り返ると、ここまで毎日自由な時間があるのは
物心ついて以来初めてなのではないかと思う。
そこで突然沸き上がった「お菓子作りたい欲」。
自分は作るより食べる派だと言い続けた私にはまさに青天の霹靂(一生のうちで一回言ってみたかった)(もう一生言えなくても満足)。
時間があるとお菓子を作りたくなってしまうというのは
母の子だなと思うし、一定数の人間の性なのかとも思う(知らんけど)(でもホットケーキミックスが売り切れるということはそういうことなのでは)(知らんけど)。
とはいえ別に家にオーブンがあるわけでもなく、
手の込んでいない、なんちゃってで手頃なものを作っております。
こちらは炊飯器で作ったバナナケーキ
バナナケーキは、「腐りかけたバナナの救出」のため母がよく作ってくれました。
それが甘くておいしくてとても思い出に残っていて
それで、お菓子を作ろうと思い始めてすぐにバナナケーキを作りました。
写真の通りとてもきれいに美味しくできたのですが、
私が「バナナケーキを作るため」に買ったバナナはとても若くて
やっぱりケーキになったあとも若バナナの味で
ああ私にとってのバナナケーキの味は、
腐りかけの完熟バナナを感じられるケーキの味なんだなと思い
味の思い出があるっていいなと嬉しくなりました。
さてこちらは
どうしてもどうしてもイチゴのショートケーキが食べたくて作りました。
ふんわりもちもちスポンジになりました。美味しかったです。
メレンゲを、かたく角が立つまで泡立てるのがふわふわになるコツだそうで
それはそれは頑張りました。筋肉痛になりました。
頑張った成果が数時間後にスポンジにあらわれてくれて感動しました。
日常の中で、頑張ってすぐに成果が出ることって意外と少ないなと思うので
これもまたお菓子作りの魅力だなと発見をくれたショートケーキでした。
最後に、マシュマロおこしでお別れしたいと思います。
大好きなマシュマロに大好きなコーンフレークでおいしいに決まっているお菓子です。
マシュマロはそのまま食べるより熱を加えて食べる方が好きです。
ちなみに
風邪をひいてのどがめっちゃ痛いときマシュマロを口でゆっくり溶かすと、
ゼラチンがのどをコーティングしてくれるそうでのど飴よりも断然楽になります
(個人的には)。超おすすめです。
時間があるんだから、ブログももう少し頻度を上げて書いていきたいなと
希望だけ一応書き残しておきたいと思います。
それでは!
twitter→ @s_now7 (今澤汐音)
愛読書紹介①
読書は趣味であって
生活の一部に本がある人や、息を吸うように本を読む人には到底及びませんが
それでも大好きな本というものが何冊もあります。
世はコロナ。
家でゆっくり過ごす時間をもてるならば
おすすめしたい本があります。
「つきのふね」森絵都(角川文庫)
- 作者:森 絵都
- 発売日: 2005/11/23
- メディア: 文庫
小学生か中学生の頃に出会った本ですのでかなりボロボロですが
読めば読むほどグッとくる。大人になるほど登場人物が愛おしくなる。
そんな大好きな本です。
少し孤独な時に読むと
ちいさな灯りが心にぽっとともるような
あたたかい空気をまとっている気がします。
あのあくまで個人の感想です!超個人的な解釈です!
ここからあらすじと感想を書いてゆきますが
あくまで個人の感想です!(2回目)超個人的な解釈です!(しつこい)
あらすじ
― 心ならずも親友を裏切ってしまった中学生さくら。
進路や万引きグループとの確執に悩む孤独な日々で、唯一の心の拠り所だった智さんも、静かに精神を病んでいき―。― 先の見えない青春の闇の中を、一筋の光を求めて疾走する少女を描く、奇跡のような傑作長編!(裏表紙より一部引用)
これまで生きてきて一番しんどかった時期はいつかと問われたら
少し悩んで「中学生の頃」と答えるだろうなと思います。
少し悩むのは
理想の自分と程遠くて、周りの目ばかり気になって、自信がなくてつらくて、
でも間違いなく
キラキラ輝く思い出も1番多い時期だったから。
大人になって振り返ると
親友達と帰り道に流れ星をみたりプリクラをたくさん撮ったり、
幼馴染と放課後日が暮れるまで喋りまくったり、体育祭で好きな人を眺めたり
おもしろいくらい良い思い出ばかりなのに、
当時毎日つけていた日記はひどい荒れ様で。
「1人ぼっちがつらい」「女の子と話すのが怖い」「自分が嫌い」
「私の生きる意味は何なのか」等々
確かに泣きながら日記を書いていた記憶もある。
まぁよく毎日学校に行っていたなあと自分を褒めてあげたい!
未熟で多感なのは自分たちでは分からない。
そんな愛すべき中学生たちが毎日同じ場所に集って生活をする。
関わる大人は先生がほとんどで、狭いせまーい[社会]の中、
自分の価値を証明しようとしたり
自分の進む道を見つけようとしたり
知らず知らずのうちに人を傷つけて傷ついて
みんな平気な顔をしながら、必死で生きているんだと思う。
必死だからこそ、キラキラも憂鬱も、その経験1つ1つが色濃く自分に残る。
(もちろん、学校という社会が合っていてただ楽しく過ごせる人もいると思う。
それは素晴らしい特性だと思う。そういう人の存在に傷ついてしまう人もいるとは思うけど、そんなの関係なく大事にしてほしいと思う。)
「つきのふね」のさくらや勝田くん、梨利といった中学生たちが
自分の中学時代と重なるのは、大人が考える中学生像とは少し離れた
自分と世界との関わりを少し俯瞰して観察しているところや
それでも精神の未熟さゆえにどうにもできない人間関係に直面するところが
とても懐かしいからかなと思う。
追体験というわけでは全くないのに、その思考とか若々しさとかが懐かしいのは
すごいなあ。
さくらも勝田くんも梨利もそれぞれ自分に対して恐れがあって、
それを乗り越える術を必死で探している。
そしてそれが疾走感溢れる物語のラストで絡み合って昇華されていくのが
とっても爽快。
そしてもう1人大事な人、智さん。
孤独で脆くて頭が良くて、とにかく優しい。
子どもの頃初めて読んだ時には、しばらくこの人が理想の男性だった。
智さんと同じくらいの年齢になった今、昔に比べて人との出会いも増え、
すると智さんに重なる人達が周りに現れるようになった(勝手に重ねられるのも迷惑な話だと思うけど。ごめんなさい)。
優しい人は精神を病みやすいのか?
優しさの定義は人それぞれ、心の病気は環境や体質次第、
そこに果たして相関が見出せるかと言われるとそうは思えないけど
やっぱり私の周りの優しい人は病みやすい傾向がある気がする。
「智さんにはいろんな人のSOSが聞こえるんだよ」「そうかもしれんな― ただし問題は、それだけ敏感な智にも自分のSOSだけはきこえないらしいってことだ」(p128)
周りの人のことをよく見て大切にして、理想に向かって真面目に人生を歩もうとして、
いつのまにか自分の上限を超えて溢れ出してしまう。
そんな人をとても好きだと思うのは、昔から変わっていないのかもしれない。
自分のような自堕落な人間には到底起こりえないことだから少し憧れてしまうのかも(その分自分は安全だと思っているところは、さくらに似ているね)。
自分のことを好きになれないのも、笑っちゃうくらい昔から変わってない。
同じ本を繰り返し繰り返し読むって、持つ感想の違いとか
自分の成長度や成長してない度を知ることができるからおもしろい。
あ、ここから私の1番好きな1文を引用させていただきます。
ネタバレになるかもしれません。すっ飛ばしたほうが良いかもしれません。
読んだことある人、「わかるぅ!」ってなるかなあ?
他の人の好きな1文知りたい!
人より壊れやすい心に生まれついた人間は、それでも生きていくだけの強さも同時に生まれもってるもんなんだよ。(p172-173)
私は心を患ったことがないし、自ら死のうと思ったこともないから、もし私の大切な優しい人が死にたくなってしまった時に何をいうこともできない(いってはいけない)だろうに、
それでも私は、あなたがいなくなってしまうのが悲しいというエゴだけで
何とか繋ぎとめるということをしてしまうと思う。
生きていくことが正しいとは正直思わないけど、もしも「それでも生きていく強さ」を持っているならば、生きた先で楽しい思い出を共有できるならば、
嬉しいなと思う。だからこの1文が私にとって希望であって。
あとシンプルにこの文字の並びと語感が好きで!
あとあと智さんに向けた言葉というのもなんだか嬉しくて。
これは作中に登場する手紙の中の1文ですが、この手紙を読むためだけに本を開く日もあります。
さて、自分の過去や思いと結び付けたおかげでなかなかシリアスな感想文になってしまいましたが、本書の読後はハートウォーミングフィーバーという感じです。
ミルクコーヒーの香りがしてくるような穏やかさです。
とにかく、登場人物の愛らしさとか、中学生の不安定な青春とか
それらを味わえるはず!激推し!ということです。
そして感想を語り合いたく思います…
どうぞよろしくお願いいたします。
最後までお付き合いいただきありがとうございました(*'▽')
twitter→@s_now7
あけましておめでとうございます
大晦日とお正月は、一年で一番好きなイベント。
毎日忙しい勤め人が、ひと時だらっと寝てご馳走を食べるから。
「お化けがくるよ」なんて言われて毎日9時半に強制的に布団に入る子どもが、
夜の世界を覗くから。
非日常がそこにあるから。
実家に帰って家のどこかを掃除して(お風呂や窓ふきが多い)
早くお風呂に入って
今年最後の夕暮れを眺める。
紅白をみながらこの日のために両親が用意してくれたカニや刺身や肉を食べ
うとうとしたりチョコのお菓子を食べたりしながら紅白を最後まで見て
ゆく年くる年でスタンバイして
0時になった瞬間、新しい年の抱負を体で表現する。
(おととしは飛躍の年になるようにジャンプ、去年は運を味方にということで便座に座るポーズ、今年はとにかくはちゃめちゃに楽しく過ごせるようにサンバステップ)
余韻に浸っている間に母がそばをゆでてくれる。
新年の抱負なんて話しながらみんなで食べる。
後片付けが終わるころ両親は就寝(韻踏んでるね)。
その後は弟と気が済むまで起きている。フットンダをみながら。
今年はすぐに眠くなってしまい、体力の衰えを感じた。
そうして夜更かしするから、富士山の方からのぼってくる初日の出はたいてい見られない(運が良ければ起きられる。母は毎年初日の出を見ているそう。来年は早く寝て一緒に見ようかしら)。
ゆっくり起きて、お雑煮をたべ、初もうでに行く。
煙をあびてお賽銭を投げておみくじをひいて信玄ソフトとやきもちを食べる。
初もうではこれ以外のことはしない。まじで。
ここまで書いてきてあれだがこの記事にオチや伝えたいことは特にない。
強いて言うのであれば、幸せな記憶は自分を救うことがあるということだ。
幸せだった時を思い出すと、少しの困難くらいならへこたれないから。
もし自分に子どもができたら、その人を守る思い出をできるだけたくさん残してあげたいものだ。
追伸
おみくじ、末吉と中吉に愛された女だと思う。
セカオワへの愛と、ノーミュージックノーライフへの憧れ
「同じ曲ばっかり聞くのって、社会不適合者の特徴らしいよ」
と言われたことがある。
はい!その通りです!という気持ちと、
適合しようと思えばできるかもしれないけどものすごく疲れるだけなんだよ!
と反論したくなる気持ちと、
そもそもどこから不適合っていうのさ!と質問したくなる気持ちが入り乱れる。
歌を歌うのは好きだ。
時に自分を苦しめるものであったが、それでも歌うことは好きなのだ。
しかし音楽が好きかと言われれば、少し悩んでしまう。
移動中は本を読むか寝るか。家でも曲をかけておくことはない。
テレビをなんとなくつけているということもほぼないので、意識しないと無音で生活している。ノーミュージックでも全然ライフって感じ。
そんな生活を少し続けると、
「セカオワ聞きたい」というスイッチが突然パチッと入る。
そうです。SEKAI NO OWARIの大ファンです私。
https://sekainoowari.jp/mob/index.php?site=S&ima=3236
セカオワの公式HP
このスイッチが入った途端、狂ったように全アルバムをシャッフルしてループな毎日になります。ちなみにさっき久しぶりに入りました。今2アルバム目に突入しました。
自分の特質をさておいてみて、この中毒性は何だろう。彼らの結晶を一身に受けるわけだから当然なのか。自分の感受性とぴったり合うからなのか。
あの方々の才能云々を私が語るなんておこがましいにもほどがあるから言及しないけども、救われた曲や言葉についてはいつか本気で書いてみたい気はする。
久しぶりに聴く大好きな曲は、染み込み方がすごい。
イントロが流れた瞬間にあぁぁ…と声が出るほどに。あえて言葉にするのなら恍惚。
「美容液が角層深部まで素早く浸透」って書いてある目の前のパックの何倍も何倍も浸透してる気がする(私調べ)(だってパックしても心震えないもん)(ごめんなさいパックいつもありがとう保湿してくれて)。
だから、多分私は音楽が好きなんだろう。
そうしてたくさんきいて満足して、いつの間にかノーミュージックなライフに戻っていく。そしてそんな自分に結構不満を抱いている。
常に音楽に触れている人、音楽のジャンルやアーティストについて幅広い知識がある人に強烈な憧れを抱いているから。知識があること自体にではなく、そういった人が話をするときに見えるその人の感性がとても好きだから。
音楽が生活の一部である人を前に「音楽が好き」ということには引け目を感じるが、それでも音楽好きへの憧れを胸に、これからもたくさんセカオワの曲を聴こうと思う。そして少しずつ他のアーティスト、他のジャンルの曲をきいてみよう。
いつか私の憧れた音楽好きたちの感性を、他の誰かが私に感じてくれる日がくるかもしれないから。
そしたら大好きなセカオワについても、こんなに薄っぺらくない言葉で話すことができるかもしれない。
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ホルモンと炭火。煙と会話。
急なお誘いが好きだ。
もちろん急なのだから都合が合わないことも多いが,
だからこそ「今から空いてる!」となればもうそのシチュエーション自体が楽しい。
そんなことで昨晩は, 急なお誘いを受け飯田橋駅へ。
東口から見えた赤ちょうちんに吸い寄せられるように(赤ちょうちんはワクワクの象徴だと思う)歩道橋を渡り, たどり着いたのが
信州 ほるもん亭 飯田橋店。
ホルモン、小さいころは大嫌いだったのになぁ。
ビールやハイボールをおいしいと感じ始めてから
ホルモンをおいしいと感じるのに時間はかからなかった。
舌だけが着実に大人になっていく。中身もぜひついて行っていただきたいところ。
1階のカウンター席を横目に, 入ってすぐの階段をのぼる。
少し狭く何とも居心地の良い雰囲気の店内(地下もあった!)。
注文して少し待つと, 七輪が登場。
炭火で焼かれるシマチョウ。美しい。
聞いたこともない部位もありながら, ホルモン初心者の自分でも
何を食べてもおいしいと感じた。
(昨晩はホルモンの申し子と一緒だったので, 私は一切トングに触っていません。
ありがとう。最高の焼き加減だったよ。)
運試しハイボール(2つのサイコロを振って, ゾロ目なら無料・足して偶数なら半額・奇数ならメガ700円。相方がゾロ目と偶数を連発する中, 私は2戦2敗でした。2019年の運はすでに使い切っていた模様)と,
偶然隣の席になった男性2人組(唐突に話しかけてきた若造の話を寛大に聞いてくださる大人の男性だった。少しの会話だったが, 仕事への姿勢や人柄が垣間見え, 生きた年数の深みを感じた。自分たちの将来についても聞いてくれ, 励ましをくれた。)との関わりが熱い夜だった。
気の置けない仲間とハイボールと肉の組み合わせはベストマッチが過ぎる。
懐には寒波が押し寄せたが、心は最高に温まった。
ひぇ~。
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